かそけき浮き世
赤い赤い鳥居が延々と続く先、祠の前でうかは受け取った手紙を手にしたまま深い息を吐いた。
久々に受け取った便りにはお誘いの文章。
嬉しくないのかと問われれば違うと答えるし、嬉しいかと問われても即答ができないという面倒な手紙だった。
「どうしたものかな」
足元の狐たちに問いかけるようにため息をつく。
と、そこへぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
「こんにちは!」
元気な声でやってきたのは一人の少女。
肩より少し長い黒髪をなびかせ、笑顔で駆けてくる。
とある理由からうかの神通力を分け与えた大切な友人――いなりの来訪だ。心配はかけたくないと、やさしく笑う。
「いなりいらっしゃい」
しばらくは楽しそうに学校でのことを話していたいなりだったが、ふと口ごもり、迷ったに恐る恐る口を開いた。
「うか様、なんだか元気ありませんね」
何かあったんですかと続けて問われ、目を丸くする。
「いや、たいしたことないんだ」
心配をかけてしまった申し訳なさと気づいてもらえた嬉しさが入り混じる。
「……ちょっと出かけなくてはいけなくて」
だから、つい話してしまった。
別に出かけるのが嫌なわけじゃないし、そこで会う相手も嫌なわけでもない。
出かけること自体が億劫なのと、話す内容が少し嫌なだけで。
「そんなに嫌なところなんです?」
問いかけてくるいなりはとても心配そうだ。
高天原に呼び出されたとでも思っているのだろうか。
だから、うかは安心させるように笑う。
「場所は嫌じゃないよ。厳島さ」
「いつくしま?」
聞いたことがないと言った様子に困る。さて、厳島は厳島であって、他に呼び名があっただろうか? 思い出しつつ口を開く。
「……宮島っていえばわかるかな?」
「あ! 海の上に鳥居が立ってる?」
ぽんと手を打って応えるいなり。
テレビや雑誌でしか見たことがないけれど、大きな鳥居と海に立つ社殿は特徴的。
鳥居と社殿の朱色と山の緑、空と海の青が綺麗だった。
「そうそう」
「秋の宮島! 秋っていうくらいやから、紅葉が綺麗なんでしょうね」
自信満々に言い切るいなりに、うかは苦笑を浮かべる。
「安芸だよ。昔のあの地域の呼び名が安芸というんだ」
「え?! そ、そうなんですか」
「そういう訳で二、三日留守にするんだ」
「そっかあ」
しょぼんと視線を落とすいなり。
その様子を見てうかは慌てる。
どうしよう悲しませたいわけじゃないのに。今回は辞退させてもらおうかなとどまで考え出すうかに、いなりは顔を上げて微笑んだ。
「いってらっしゃいうか様。お土産話たのしみにしていますね!」
その笑顔にうかは微笑を返す。少しぎこちないものだったけれど。
お風呂に入ってさっぱりして、そのままいなりはベッドにダイブした。
しっかり日を浴びてふかふかになった布団は気持ちいい。
一緒に飛び込む羽目になったコンの悲鳴のようなものが聞こえた気がしたが、いなりが気になっているのは別のこと。
旅行なら楽しいはずなのに……うか様は元気なさそうだった。
この前にみんなといった福井の海はとても楽しかったから、友達と会うのなら楽しいはずなのに。
「ねえコン」
「どうしました?」
「うか様、旅行なのに楽しくなさそうだったけどどうして?
まさかトシ様がついてくるとか?!」
「いえいえ、それは問題ないです。男子禁制の『じょしかい』なるもののようですので」
「女子会?!」
「はぁ、そうお聞きしておりますが」
コンの答えなど耳に入っていないかのように、いなりはまくらを抱きしめる。
女子会。
女の子同士で集まって美味しいご飯やスイーツを食べてお話しするあれ?
いなり自身が中学生のため、友達と集まっても揃えられるのはせいぜいお菓子くらい。
それでも新作を買ったりして楽しんではいる、けれど。
大人の、もとい、神様の女子会。どんなものか気にならないわけがない!
「コン!」
「はい?!」
どこか逃げ腰のお使いの肩をがっしりとつかんで、いなりは言った。
「知りたいからついて行って」
そんなやり取りがあったとは知らないうかは、気が向かないながらも準備を行っていた。
いなりに話したとおり、二、三日は足止めされることは間違いない。
せめてお気に入りのゲームくらいは持っていこうと思っていると、先ほどいなりと一緒に戻っていったはずの相手を見つけた。
「おやコン。どうしたんだい?」
びくりと大きく体を震わせる自らの神使に、うかは問いかける。
「いなりがどうかしたのかい?」
「いえ、その……」
しゃがみこんで視線を合わせれば、コンはしばらく沈黙したものの、ぽつぽつと口を開く。
「うか様が、旅行だというのに浮かないご様子でおられることを、いなりさまは心配していらして。自分がご一緒することができないかわりに、私めが」
知りたいからついて行ってと言う無茶を、なんとかまともに聞こえるようにいろんなものでくるんだ言葉。真意を悟ったわけではあるまいが、うかは笑う。
「いいよ、おいで」
自分を心配してくれる。その心遣いが一番嬉しい。
彼女が心配するようなことなどなく、ただの、ひたすら愚痴大会になるだろう飲み会なのだが……
「いなり様は、うか様のお土産話をそれはそれは楽しみにしておいでですから」
思わずうかはコンを見返す。
少し前に、いなり達は海に行って、その話を聞いた。お土産にとお酒ももらった。
――そうか。
「今度はわたしがお土産話をしてあげられるんだね」
嬉しさをかみ締めるように、はにかむように笑ううかに、狐たちも良かったと顔を合わせる。
が、次に発せられた言葉にぎょっとする。
「どうしよう……わたし、あんまり厳島のこと知らないのだけど」
「だ、大丈夫ですよ、うか様」
「そうですよ。うか様が見て感じたことをそのままお話になればよろしいのですよ」
「でも……いつか、いなりも行くかもしれないじゃないか。
どんな名所があって名物に何があるかとか」
もじもじと言い募る主を見て、では、と一番年嵩の狐が口を開いた。
「ガイドブックを見てきましょう。厳島は昔からの観光地。それなりに本がありましょう」
「そうか! ああよかった。じゃあお前たち、行ってきてくれるね?」
「「は! ただいま!」」
そうして、うかの厳島参りは慌しく始まった。
厳島は古くからの神の島。
祭神は宗像三女神――市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命。
いなりも知っていたように、海の上に立つ大鳥居と社殿は有名で、写真やテレビなどで知るものは多いだろう。
晩夏とはいえ日差しはまだ強く、穏やかな瀬戸の海はきらきらというには強い光を返している。
少し高くなったように見える青い空と、瑞々しい山の緑。それらには朱が映える。
特に移動を考えず、直接三女神の元へ行ってもよかったのだが、いなりにお土産話をするには少しでも島内を回ったほうがいいだろうと、人にこっそり紛れて通りを歩いていた。
「それにしても……しばらく来ないうちに随分人が増えたような」
「観光客ですね」
きょろりと周囲を見渡せば、淡い色や染めたものではない茶色など黒だけではない頭がいくつも見える。
「わたしのところもにも外国人は来ているけど、ここも多いね」
おや鹿もたくさんと呟くうかにコンも同意する。
あちらのほうで子供に何頭も着いて行っているのは懐いているのだろうか?
神社へ参るだろう人に習って歩いていけば、広場をすぎて通りへ向かう。
しばらく海岸線を歩いて、より人が多く歩いていく方向へ。確かこの先に店が多いのだとガイドブックに書いてあった。
名物だと言うまんじゅうや、あちこちで焼かれる牡蠣、練り物の類を眺めつつ進んでいけば、強かった日差しが遮られる。
建物の影にでも入ったのかと見上げれば、路地の上に大きな布で日よけが作られていた。なるほど、この時期にはありがたい。
通りの両側には商店がずらりと並び、呼び声などの活気があふれてる。
進むものと戻るもの、人の流れを遮らないようにうかも進んでいく。途中、コンがはぐれそうになったのか慌てて駆け寄ってきた。
昔からの名物や新しくできた名物が並ぶ店先を覗き、大杓子の横を通ってにぎやかな通りをゆっくり歩く。なんだかお祭りのようで少し浮かれる。
「あ」
視線が止まったのはひとつの店の看板。
ここ最近人気だという揚げもみじ。
なるほど確かに人気なのだろう、それなりに長い行列が途切れず、次から次へと人がやってくる。
串に刺された饅頭に衣をつけて揚げる様子が見えて、列で待つ人たちも顔を綻ばせている。
美味しそうだとか、早く順番来ないかなと言っている人たちの横を抜けて店内を覗いてみれば、美味しそうに食べている人たちが見えた。
「やっぱり美味しいんだね。あんなに幸せそうな顔をして」
「そうですねぇ」
つばをごくりと飲み込むコンを笑いつつ、うかは先へ進む。
食べることはできないし、買うこともできないけれど、それでもしっかりと覚えていなりに話してあげよう。
大量に作られる饅頭の機械を眺める小さな子供たち。楽しそうに買い食いをする家族連れ。同じ制服を着た学生たち。
地図を片手に楽しそうに話をしている若い女性たちに目が止まる。
姉妹、とは違うかな? 友達?
どうやら、カフェと雑貨屋のどちらに先に回るかを相談しているらしい。
いいな。わたしもいなりと――
そこまで考えてハッとする。
……何を考えているんだ。
「うか様?」
「なんでもないよ」
ゆるく首を振って頭を切り替える。
「あまり待たせるのも悪い。そろそろ行こうか」
本来の目的はそちらなのだから、招待されて遅れるわけにも行かないだろう。
そう付け足して、宗像三女神の元へ向かった。
女子会ならぬ愚痴大会は、それはそれは大いに盛り上がった……とだけ伝えておく。
10周年記念リクエスト作。『「いなり、こんこん、恋いろは」の、こん、と、うか様が、宮島の厳島神社に遊びにくるSS』。
ただの宮島プッシュにならないようにするのが大変になろうとは。