lycoris-radiata
【第一話 花の都の物語】 3.タヌキとキツネの化かしあい
いくつかの町を抜け郊外の道を走ることしばし。
かつての城塞都市の名残を感じさせる高い塀をくぐると、中世そのままのレンガ作りの建物と、近代的なビルとが立ち並ぶ街にたどり着いた。
アルテの首都ストラーデ。
二千年ほど前の時代、ここは大陸のほとんどを従えた超大国の首都だったという。
レベッカの操るドアは中心部――中でも、時代がかった建物の多い方へと進んでいく。
足元を固める石畳。磨り減って丸みを帯びた階段。
両脇に天使の彫像を並べた通りの向こうに、ひときわ大きな建物があった。
かつては城として使われていたのかもしれない。
左右に建っている塔にはそれぞれ協会の旗が風に揺れていた。
ドアはスピードを落として門を通り、入口で静かに停止した。
「到着っ。あー、結構使っちゃったかな?」
そう楽しげに呟いて、レベッカはドアに埋め込まれた魔封石を確認する。
光を放たなくなった石はエメラルドグリーンに色が変わっていた。
魔封石はその名の通り、魔を――魔力を封じた石のこと。
込められた魔力が弱くなれば色が薄くなり、最後は透明になる。
この残量なら、多分もう一回フィオーラまでいけるかどうかくらいだろう。
乗り心地は悪くなかった……なかったが、好奇の視線にさらされるのは勘弁なので、二度と乗りたくない。
そんなことを思いながらコスモスがドアから降りると、協会の中から数人の黒ローブがばたばたと出てきた。
「導師スノーベル!」
「どちらにいかれてたんですかッ」
「出迎えよ」
部下達からの非難するような視線をものともせずに、あっけらかんと返すレベッカ。
慌てふためいている彼らの様子から、彼女が黙って外出したことは察せられた。
なんで、うちの親族ってどうしてこんなに自由奔放な人が多いんだろう。
とくに、重職についてる人がそれやっちゃまずいでしょう。
「ドア収めておいてね。さ、コスモスはこっちよ~」
マイペースに事を進めようとするレベッカに、コスモスはため息も出ない。
「類は友を呼ぶって言うじゃないですか。間違いなく公女たち本家が『類』でしょうけど」
「あんたそんなにあたしの沸点下げたいの?」
脅しの言葉は無論小声。大叔母さんや協会の面々に聞かれたら困るし。
「まさか。私は公女の忠実な部下ですから」
心外だといわんばかりの声を出す薄。しかし、その顔は憎らしいほどへらへら笑顔。
腹が立つものの、文句を言ったからって大人しくなる様な相手ではない。
仕方なくコスモスは口をつぐんで、手招きを続けるレベッカの後を追った。
なんとなく薄暗いエントランスホール。こつんこつんと足音がよく響く。
天井から下がったシャンデリアは蝋燭を使うタイプのアンティーク。
磨かれた受付カウンターは年代もののマホガニー。
外観からの予想通り、協会内部もよく言えばクラシカル、悪く言えば古くさい感じがした。
受付には黒ローブの職員が二人、びっくりしたようにこちらを見ていた。
「導師スノーベル!」
「ようやくお戻りになられたんですねッ」
「はいこっちこっち、まずは受付済ませてねー」
部下二人の言葉にまったく耳を貸さず、こちらを促すレベッカ・スノーベル。
大叔母さんお願い、あんまりマイペースで突っ走らないで。親戚として肩身が狭いから。
そんなコスモスの願いなど分かっていないのだろう。
かって知ったる足取りで受付に向かい、カウンターの左側に設置されている水瓶のようなものへと歩いていく。
「はい、ここで登録してね」
示された水瓶はまっ白な陶器製で高さは六十センチくらい。
覗き込めば透明な水の底に、やはり透明な魔封石が収められていた。
いつもの事ながらため息が出そうになる。
従者の様子を伺えば、薄はさっさと入館手続きを済ませていた。
彼は魔導士ではないため、住所氏名の記入とパスポートの提示だけで良い。
ああ、なんてうらやましい。
魔導士は移動が厳しく制限される場合がある。入国を拒否する国もあるほどに。
それはつまり魔法がテロに使われることを懸念してだ。
残念なことに魔法を悪用した犯罪もあって、こちらは国際魔法犯罪捜査団が日々犯人を追跡しているが。
少し話がずれたが、つまり魔導士は逐一協会の監視下にいる必要があるということ。
国家間を移動する場合は、出国前に付近の協会でいつどこの国に行くと報告し、入国したら即協会に出向いて登録をする義務がある。
登録したら素性がばれるから嫌だとごねられるはずもなく、仕方のないことだと認識はしている。ただ、レベッカの出迎えのせいでこの場に立ち会ってしまった人数が多いのだけが恨めしい。
あまりぐずぐずするわけにもいかないか。
一歩、水瓶に近寄って左手を前に差し出す。
腕を伸ばしたことでジャケットの袖が引っ張られ、手首と細い金属製のブレスレットがあらわになった。知らないものが見ればただのアクセサリーと思うだろう。しかし、これこそが魔導士の証。
「英知を封じし腕輪よ。その片鱗をここに示せ」
桜色の唇が紡ぐのは、この場にいる誰もが聞き慣れたフレーズ。
弓手に力を与えるためのキーワード。
「出でよ、我が杖ウェリタス」
力ある言葉に応えてブレスレットが光を放ち、一本の杖が現れた。
中央に緑の石を配した大きな金環の装飾の杖を持っている姿は、何かのゲームの登場人物を想像するかもしれない。
一メートル弱の杖を振って、金環部分を無造作に水瓶に突っ込む。
ぽしゃんと軽い音と共に広がる波紋。それが消えないうちに起動音が響く。
魔法協会と言う場所に似つかわしくない、無機質な合成音。
『魔力波動確認。パターン取得。データと照合を開始します』
ホールに響く、特徴のない中性的な声。
どうやってどんな照合をしているのかコスモスは知らないが、水瓶の底に埋められた魔封石が関わっているのだろうとは察せられた。
『氏名及び銘をお答えください』
抑揚のない声で促されて、しぶしぶ口を開く。
「杖の銘は真実」
先に銘を答えたのはせめてもの抵抗。
ああ、きっと注目集めちゃうんだろうな。
「名前は、コスモス・トルンクス・スノーベル」
名乗った瞬間、ざわりと空気が動いた。
そして感じる視線・視線・視線。まさかという訝しげなもの。あるいは興味深そうに。
ホール中の視線が集中してるのが分かる。
照合のための待ち時間の、なんと長いことか。
『確認しました。会員番号一八二―三四六。
六級魔導士コスモス・トルンクス・スノーベルをストラーデ支部に登録いたします』
登録が終了したことを確認して、コスモスは杖を引き抜いた。
不思議なことに水滴はついておらず、蝋燭の優しい光に石は冷たい輝きを返す。
このまま杖を出していても邪魔なので、解除の呪文を唱えて元の姿に――ブレスレットに戻す。
『魔法使い、杖がなければただの人以下』なんて皮肉られたように、集中の要となる杖がなければ魔導士は何も出来ない。
逆に言えば、杖を手にしている限りいつでも攻撃できるという意味になる。
魔導士が杖を持って歩くことは普通の人が刃物を持って歩くのと同じこと。
周囲に悪い印象を抱かせないためにも、隠すくらいのことはしたほうがいい。
とはいえ、杖は個人個人に合わせて作られているものだから、たとえ盗難にあっても他人には悪用されないという点では安心かもしれないが。
背中に刺さる視線の数は増えている。
この短時間に知らせにいった奴でもいるんだろうか。
「じゃあ、登録も済ませたことだし。たっぷりお話しましょうね」
その言い方だと叱られるような気がするんですがとか突っ込みたかったが、衆人の目のあるところでそんなことを言えるはずもなく、コスモスはおとなしく破天荒な親戚の後をついて行く。
複数の視線は、レベッカの部屋の扉が閉まるまでずっと追いかけてきていた。
通された部屋は外観に似合わず、モダンな内装だった。
ソファやクッション、カーテンといったインテリアは淡い色彩で、重厚なテーブルと合わせるとちょうど良い具合。
薦められるままにソファに座ると、レベッカは執務机や本棚から紙の束やファイルを取り出してから、コスモスたちの向かいに座った。
「それで、仕事だから一応聞かせてもらいましょうか」
先ほどまでとは打って変わったまじめな表情で見つめられて、コスモスはこくりと頷く。
反面、いつもこうならいいのにとか頭の片隅で思ったりもしたが。
「本当なら支部長が聞くことなんでしょうけどね」
考えが顔に出ていたのだろうか?
心に感じた不満をレベッカは別の方向に取ったらしく苦笑する。
確かに、本来ならこのストレーデ支部を仕切る支部長が聞くことかもしれないけれど、いつもいつも支部の最高責任者に聞かれていたわけでもなし、特に気にせずコスモスは先を促す。
「まず目的は? ただの旅行というわけではないのでしょう?」
「ええ。人探し……いえ、本体探しといった方が正しいでしょうか」
すでに大体のことは伝わっているのだろう。資料に目をやりながら問いかけるレベッカ。
コスモスも応えつつ、自身のイヤリングをはずしてテーブルに置いた。
「『彼』の本体を探しています」
『初めましてレベッカ殿。私はアポロニウスという』
金で飾られた緑の宝石は上質のエメラルドのように透明度の高い深緑。
輪郭の淡い声はその緑の石から漏れた。
ともすれば逃してしまうようなかすかな気配とは逆に、はっきりとした意志を持ってテノールは響く。
「魔封石ね?」
「正確には少々違うようですけれど」
魔法の品であることを看破したレベッカはさすが導師の位にあるといえる。
魔封石と宝石は似通っているため、判別しづらいことで有名だ。
しかし、努力だけではどうしようもないのが魔導士という職業。
「彼というからには男性なのかしら」
「はい。彼はアポロニウスといいます」
案の定、レベッカにはアポロニウスの声が聞こえていなかったらしい。
――『彼』の声が聞こえるかは魔力量に左右されるんだ。
人間にはまず聞こえないだろうね。君達『スノーベル』は別として――
かつて世話になった別の支部長の言葉が甦る。
こういった面々でコスモスはヒトと違うことを多々思い知らされる。
自分の基準は世間とずれていることをきちんと認識する面では悪いともいえないのだけれど。
「アポロニウスはこのイヤリングに魂だけ封じられています。
本体――肉体は石像にされていずこかに封印されていることまでは分かっています」
報告書には書かれているだろうけれど。
コスモスの予想を裏付けるように、ようやくレベッカが書類から目を離した。
ある程度知られてもいいことはちゃんと報告している。
その内容に差異がないかどうかを確かめていたのだろう。
「彼は……話しているのね?」
「先ほど、大叔母様に挨拶なさいました」
「そう。私にはやっぱり聞こえないのね」
苦い笑みを浮かべるレベッカにコスモスが応える言葉はない。
何を言っても慰めにはならないということは良く知っているから。
「まあ大体のことは報告書に書いてあるけれど……あえて聞くわ。
コスモスがする必要があるの?」
今までになかった問いかけに彼女は大叔母を見つめ返す。
「資料によると、アポロニウスさんは七百年前の――大昔の人間よね?
石化された人間を元に戻すとか、封じられた人を解放するとか、そういったことは国際魔法犯罪捜査団の仕事よ。コスモスがわざわざする必要はあるの?」
確かにレベッカの言い分は正しい。
こういったことは一個人が行うよりも、組織で行った方が効率が良いに決まっている。
「必要はあります」
答えるコスモスに迷いはない。
「まず、捜査団には彼の声が聞こえるものがいません」
『会話できなければ困ることばかりだしな』
「そして、彼を託されたのはわたくしです。
依頼された方はわたくしを信用してくださったのですもの。無碍には出来ませんわ」
『最初は謀られたと言っていたが』
ええいうるさいアポロニウス。大叔母さんに聞かれてないと思って好き勝手言うなッ
レベッカに気取られないようにほんの少し視線に険を込めれば、石は沈黙した。
「その依頼者は?」
「アネモネ・コロナリア前魔法協会会長」
打てば響くような返答に、レベッカの動きが止まる。
「……コスモス、あなた面識あったの?」
「おじい様が捜査団を退団する際に少々」
ややあってなされた問いに、にこりと微笑んで返すコスモス。
このあたりは報告書には載っていなかったのだろう。まあ当然だが。
黙したままの薄が嫌な視線を送ってくるが間違いは言っていない。
真実すべてを伝えていないだけだ。
「確かに話が出来ないし、前会長の依頼っていうのなら義理もあるかもしれないけどねぇ」
「そうおっしゃられましても」
困ったように、でも諦めさせようとするレベッカ。
そんな彼女に、同じように表面上は困惑して返すコスモス。
「わたくしが最適だという意見は皆さん一致しておりますのよ?
アポロニウスをこうした犯人を考えると、スキャンダルを避ける必要はありますし。
それに彼の素性を知られたら、今度は権力争いになりますもの」
「……そんなこと、報告書には書いてないけれど?」
「お察しくださいませ大叔母様。書かないのではなく、書けないのです」
少し剣呑さを帯びたレベッカの声音にうつむくコスモス。
はたから見れば、申し訳なさそうに見えるだろう。が。
『相変わらず芝居がうまいな』
しみじみとしたアポロニウスの口調が腹立つ。
今は言いたい放題してればいいわよ。その代わり、真人間に戻ったら覚えとけ。
笑顔のウラで物騒なことを考えているなどおくびにも出さず、現在の障害をなんとかするべくコスモスは言葉を連ねる。
「捜査団と協会の関係は良好ですが、こちらから弱みを見せる理由はありません。
権力争いの件でしたら、わたくしにはまず関係ありませんもの」
「そうね……スノーベルはスノーベルでも、本家直系だものね」
しぶしぶといった様子のレベッカに苦笑が漏れる。
「だからこそ問題だって事も分かってる?
パラミシアの公爵令嬢に何かあったら国際問題よ?」
「わたくしは確かに公爵家の娘ですけれど、魔法協会創始者の血族ですわ」
笑って告げて、右壁面の絵画に視線をやるコスモス。
額は木製の細工物。
二人の女性が向かい合って描かれた油絵の題材は協会でよく見られるもの。
右側は知識を示す本を抱えた黒髪の女性。左は杖を抱えた青い髪の女性。
魔導士の地位向上のため、自身も魔導士であったスノーベルは親友ブルーローズと力を合わせて魔法協会を設立した。
二人の女性――特にスノーベルは今なお魔導士たちの尊敬を集めている。
「アポロニウスは二人に縁のある人です。末裔が力を貸すのは当然といえるでしょう?」
『暴論だな』
だからしつこいアポロニウス。誰のためにこんな舌鋒する羽目になってると思ってんの? そして隣でこっそり笑うな薄っ
コスモスの答えに何かを感じたのか、レベッカは深い深い息をついた。
「決意は固いみたいね。
あーあ、もしかしたら止められるかなって思ってたのに」
悔しそうに呟いて、吹っ切れるように笑顔を浮かべた。
「それで、大叔母さんは何をすれば良いかしら?」
「教えていただきたいことがあります。成人男性の石像……大体七百年前の年代に合うものがあれば、見せていただきたいのですけれど」
「そうねぇ。発掘されたものは本当に石像か、石化された人間かの鑑定はしているけれど……絶対に漏れがないとは言えないものねぇ」
小首をかしげてのレベッカの答えはあらかじめ予想されたもの。
「発掘されているなら、西大陸のどこかからなのですけれど」
「ということは、発掘されていない可能性もあるわけね」
問いかけに間をおかず首肯する。
何せ下手人の自白によると、石化したは良いものの重くて動かせなかったから、腹いせに動かせないよう封印を施したらしい。
ハイ・エルフの封印がそんな簡単に解けるとも思えないし、可能性で言うなら発掘されていないほうが確率が高いだろう。まずは発掘されていないことを確かめる方が先決だ。
「この国は美術館も多いからねぇ。
一応資料は調べてみるけれど、直接あたった方がいいかも」
「そうですか」
「ストラーデは大叔母さんに任せておいて。ちゃんと調べてあげるから。
コスモスは……そうねぇ、アルテ北部を調べた方が良いかもね。
南部よりも治安は良いし美術館の数も多いし」
「アルテ北部というと、フィオーラあたりから北上した方がいいでしょうね」
口を開いたのは薄。
今までだんまりを決め込んでいたのに、何故か活き活きと会話に加わる。
「レベッカ様。フィオーラで収蔵数の多い美術館はどちらでしょうか?」
「そうねぇ、ヴェッキオ美術館かしら。小さな美術館はたくさんあるけど」
「だそうですよ、公女」
結局、来た道を戻ることになるのか。
いやいや、どちらにせよ登録でここに来なけりゃいけなかったんだけど。
「任せるわ。
では大叔母様。慌しくてすみませんけれど、これで失礼いたしますわ」
「いいのよ。ああ、もしビオラに会ったら約束くらい守りなさいって怒っておいて」
「はい」
笑顔で告げるレベッカにコスモスも笑顔を返して立ち上がり、空飛ぶドアで送るという申し出を断って協会を後にした。