【第十一話 遅疑】 4.届かなかった言葉
その後、酒場で聞くことによると、セラータでは確かに新しく勇者が任命されたらしい。
「にしても、あんな子供がねぇ。
ああごめんね、あんたに言ったわけじゃあないんだよ」
そういって女将さんは笑う。セティとしても苦笑いを返すしかない。
セティだって年はほとんど変わらないし。
とはいえ、世間的な一般常識やら精神年齢は彼女の方が上だと思うのは、先程のやり取りを見た者達の共通意見だろう。
「でも、どうしていきなり勝負しろになるんだろ?」
「年が近いからってだけで、対抗心持ったんじゃない?」
「そういうものなのかなー」
年が近いから対抗意識を持つ、というのは分からないものではない。
とはいえ、最初からそうけんか腰にすることはないと思うのだが。
『勇者』といえば国の代表。セティの評判が悪ければ、彼女を勇者に任命した王様も悪く言われることになる。そんなこと、耐えられない。
自分がしたことで、自分と仲のいい人たちが悪く言われるのだけは嫌だ。
ラウロと名乗った彼は、そういうことを思わないのだろうか?
「ああでも……セティも旅立ってから一年半は経ってるのよね」
「あ……そうだね。そっかー」
再びフリストを出てからもう半年がたったのだと実感する。
季節は移ろっているのだから当然ともいえる。が。
「ってことは、急がないと真冬に首都よりも北に向かうことになるの?」
「そうね……お勧めはしないけど」
重大なことに気づいて問えば、憂鬱そうに答えるクリオ。
セラータは北国である。そこよりもさらに北上、季節は冬。
……そこから導かれる答えなど分かりきっている。
食事を取りつつも、効率的に北上するルートを導き出すべく検討に検討を繰り返すセティたち。打ち合わせを終了し、明日も早く出発しなければいけないと早々に各自の部屋に帰った。
そして翌朝。
「随分遅いな!」
一階の食堂に下りた途端、待ち受けていたのは昨日の新米勇者だった。
「さあ! 俺と勝負しろフリストの!」
びしりっと指を突きつけられて、朝の気持ちのよい気分が急降下。
うんざりした気分でとりあえずセティは声をかけた。無視をして付きまとわれるようになるのだけは避けたい、ただそれだけの思いで。
「勝負って何がしたいのさ。
むしろ勝負なんて、どっちが早く魔王を倒すかじゃないの?」
「んな当たり前のこと言ってんじゃねーよ!
もっと時間のかかんねぇ依頼を、どっちが早くこなせるかで勝負だ!」
きゃんきゃんと威勢のいい子犬のように吠える少年は、正直かなり鬱陶しい。
「依頼って」
「僕ら、今急いでるんだけど」
「依頼なんて魔物退治に決まってんだろ!
詳しい話は俺も聞いてねーけどな!」
偉そうに言い募る少年の背後で、なんだか妙に疲れた顔してあちこち痛そうに腫らせた男性がほんとーにすみませんって感じの顔をしてる。
他国のことながら、セラータの王様はどうしてこんな子を勇者に任命したんだろうとセティは大きくため息をついた。
さてどうしたものかと悩んでいると、軽やかなベルの音がして男がひとり入ってきた。熊のような体躯の、しかし神経質そうな中年男性は店内を一瞥した後、おもむろにラウロに向かってやってきた。
彼に気づいたラウロがにやりと笑い、セティに宣言する。
「ほら、依頼人だ!」
さあ勝負だとばかりに笑う彼。
宿の中は一足早く冬が来たかのように、とてもとても冷え切っていた。
依頼人はここらでは結構有名な商人とのことで、ベニャミーノ・ロッタと名乗った。人を見た目で判断してはいけないと分かっていても、なんだか悪人面しているなーとセティは思い、ヘンな仕事じゃないといいけどとため息をついた。
こうなってしまった以上、依頼を受けずに逃げ出すということは出来ない。
セティの評判はそのままフリストの評判に繋がるのだからして、先程から示されている『セラータの勇者』に対する宿の皆様のマイナス評価を目の当たりにすれば、受けざるをえない。
依頼の内容はラウロが言っていたように魔物退治らしい。
街の西側にある空地に魔物が出るとのことで、倒したら報告しろとつっけんどんに告げて依頼人は去っていった。
退治する魔物の特徴やら何やらを聞こうとしていたセティは拍子抜けする。
怖くて誰も近づけないというのなら、確かに魔物の特徴を知ることはできないだろう。
けれど、周囲に満ちたこのなんともいえない空気は何なんだろう?
まあそれでも、依頼を受けたからには働かなければいけないだろうと、とりあえず現場に赴くことになった。
宿の人に場所を聞いて、その空地とやらにつくまでの間、後ろはかなり騒がしかった。
「あのねぇ、そんな周りにけんか売ってどうするの?
とりあえず協力してもらって、相手の出方とかそういったものを見て盗んで」
「うっせーんだよ!」
男性のもっともな言葉に帰る罵倒と何か殴ったような音。
先程から何回か繰り返されるそれ。
セティも最初は止めようとしたのだが、リカルドの忠告どおり無視を決め込んで正解だったっぽい。
道行く人たちから浴びせられる視線をラウロはなんとも思っていないのだろうか? 同類と思われなくない。元々まったく関係はないのだし。
「あっち大変そうだねぇ」
「ワガママなガキと保護者だな」
「あははは確かに」
ブラウに呆れられてちゃお終いだなと思ってるあたり、セティも結構ひどい。
「でもまぁ、ブラウも最初はひどかったけどねー」
ぐさりと来る一言は、まったく悪びれないリカルドから発せられた。
言われた本人も自覚は多少あるのか、むすっとしたものの反論はしない。
正直、こんなところで足止めを食いたくない、という気持ちは強いが……勇者の仕事は魔物退治。
さっさと済ませてしまおうとセティは決意する。
後ろの厄介な連中と別れるためにも。
たどり着いた場所は、確かに見事な空地だった。
周囲は家がひしめき合って経っているというのにぽっかりと空いているあたり、何かあったのだろうということは容易に察せられる。
でも、ヘンなの。
周囲を観察し、セティは眉を寄せる。
ここは貧民街ではない、中流レベルの住宅街だ。つまり、街門からはそれなりに離れている。
だというのに、ここに魔物が出ると依頼人は言った。外から侵入するというのならば、もっと他――門に近い場所で被害が出るはずだ。
「どういうことだと思う?」
同じ事を考えたのか、クリオにリカルドが問いかける。
「魔物……なのかな? もしかして、幽霊とか?」
「さあ。ともかく、少し情報を集めた方がよさそうね」
後ろの連中は張り込みだといきまいているが、セティたちは時間を無駄にする気はさらさらない。
あの時流れた微妙な空気は、何かを知っているからだというクリオの言葉に従って、一度宿に戻ることにした。
帰り道は特に何もなく順調だった。
宿と空地の半ばほどまで来た頃、後ろから高笑いが追いかけてくるまでは。
「この勝負、俺の勝ちだな!」
肩で息をしつつも顔を紅潮させ自慢げに笑うのは、空地に置き去りにしたはずのラウロ。その後ろにはぜーはー言いつつ走ってきている男性が見えた。
「勝ちって……もう倒したの?」
「当たり前だ!」
言って高く掲げるのは……どう見てもカラスだった。
「……魔物?」
「魔物だ!」
「カラスだよね?」
「何言ってんだオオガラスだろ!」
ずいと出される――頼むからそういったものを近づけないで欲しい――鳥類は、確かに普通のカラスに比べれば大きい、が、魔物に分類されるオオガラスにしては小さすぎるのだが。
「勝った! セラータがフリストに勝ったぞ!」
どうやら何を言っても聞きそうにないし、それにもう関わりたくないです。
セティの沈黙を敗者の悔しさと思ったのか、彼は愉快そうに笑ってどこかへ――多分依頼人の元だろう場所へ――走り去っていった。
「何なんだ、あいつ」
「……わたしに聞かないでよ」
「ま、世の中いろんな人がいるから、ね」
リカルドの慰めになってない言葉が、とてもむなしく聞こえた。
戻ってきたセティたちに、宿にまだ残っていた人たちはまず苦笑をくれた。
それから、何故かおごりだから飲め食べろと労わられた。
何でだろうと彼女が問いかけようにも、分かってるから何も言うなと遮られる。
一体何が分かっているのだろうと大人しく飲み物を受け取ると、ぽつりぽつりと答えてくれた。
彼らの話を要約すれば、依頼をしたあの商人は色々と黒い噂が多く、またかなりの好色らしい。
美人と噂の娘にちょっかいをかけ、自分のものにならぬならばと脅しをかける。そういったことを繰り返していたのだと。そして、先程行ったあの空地は、二年前に商人のせいで一家心中した家族が住んでいたのだ、と。
「ひどい。そんなことしたら罰があって当然だよ!」
「まぁねぇ」
「でも安心しな。その一家は生きてるんだ」
「へ?」
きょとんとしたセティに、女将さんと親父さんが交代で教えてくれる。
「娘の両親は、娘を教会に入れてシスターにしたのさ。そうすれば諦めるだろうってな」
「まあ、それも甘かったんだけどねぇ」
当時を思い出したのか、女将さんの口調は重い。
「それでもしつこく言い寄ってきたもんだから、街の連中でちょっと懲らしめてやろうってことになったのさ」
「前に犠牲になった娘達の家族や友達連中が一緒になってね、一家心中を仕立て上げたんだ」
「実際は冒険者を雇って、夜中に一家を逃がしたんだがな」
「まあ、家のほうには色々とやったけどね」
からからと笑って、それからふと真面目な顔になる。
「懲りるだろうって思ったんだけど……悪い方に転がっちまってね。
その後からだよ。あの家があった場所に魔物が出るって騒ぎ出したのは。
何人も冒険者が雇われて……後はなんとなく想像つくだろう?」
「じゃあ……魔物なんて、本当は出ない?」
「罪悪感か何かから、幽霊が出るって思い込んでるってことか?」
口々に問いかけるセティたちに返されるのはあいまいな笑み。
「あたしらも、最初はいい気味だと思ってたんだけどね。
嘘だったって言っても信じないんだよ。
そうやって油断させて殺すつもりだろうってね。
もしかしたら――本当に『何か』に憑かれてるのかもしれないけどね」
「でも……その人、本当に生きてるんですか?
もしかして、追っ手とか」
嫌な話だがありえないではないことをリカルドが聞くと、女将さんはふんわりと笑った。
「お前さんたち、前の勇者に会ったことあるんだろう?
なら、一緒にいなかったかい? 彼女、綺麗な金髪をしてたんだけど」
「へ?」
前の勇者と一緒にいた綺麗な金髪の女性?
言葉を反芻して考える。
前の勇者というのは――ここはセラータだから、フォルトゥニーノのことだろうか? 金髪の女性……ルチルは確かに金髪で……あれ?
「もしかして」
「ルチルさんのこと?」
恐る恐る聞いた問いに、女将さんはやっぱり会ってたねと笑い返す。
「そうだったんだ。ルチルさん大変な目にあってたんだねぇ」
「でもルチルさん生きてるのに……どうして信じられないのかな?」
感心したように言うリカルドと首を傾げるセティ、クリオは逆に考えるように言う。
「仮に本人に会っても、幽霊だと思うかもしれないわね。
それに何より、ルチルさんが会いたくないでしょうし」
「まあ……そうだよね」
「そんなことより、あんた達適当に理由つけて逃げた方がいいよ?」
心配そうな女将さんの言葉に首を傾げると、ますます不安そうな顔で諭された。
「魔物なんて出るわけないんだ。
どっかから捕まえてきて、依頼は完了しましたってすぐにお逃げ。
その後すこしでも街に留まってたら、けちつけられて依頼料なしどころか金を取られるよ」
「え」
「今まで何回もあったんだよ」
疲れた声で言う女将さんに反論しようとして――止めた。
そのたびにきっと、あれは嘘だったんだと説明しても聞き入れない……信じないのだろう。
商人は魔物が出ると信じている。だから人を雇って倒そうとする。でも倒されたとは信じない。
やりきれない気持ちのまま、セティたちは忠告に従って急いで街を出た。
もたもたしてると、またラウロに絡まれるかもという危惧もあったからことさらに急いで。
街を背にして歩きながらセティは思う。難しいな、と。
さっきは何で信じられないんだろうって思ったけど……自分だって信じてないところがある。
例えばリゲルたちが話した父さんの罪だとか、お兄ちゃんのことだとか。
心に広がる暗雲。呼応するように、北の空は暗く重くのしかかってくるようだった。