【第八話 再会】 4.君の決意 僕の迷い
何か言わなきゃ。謝らなきゃ。
たくさんたくさん考えていたのに、叔母の顔を見たらそれらは全部すっ飛んでしまって、ただ衝動のままにポーリーは思い切り抱きついた。
「ポーリー……」
疲れたような声は気のせいじゃない。
でも、嬉しくないなんて事はその表情を見れば分かる。
勢い良く抱きついてきた姪を何とか受け止めて苦笑するアース。
「ご……っく……なさ……っ ごめ……っ」
とても小さな声で、言葉にはなっていないけれど謝り続けるポーリー。
姪が可愛くて仕方ないといった様子でアースは抱きしめ返し、視線の合ったノクティルーカに苦笑を返す。
小さな頃、ちょっとした悪戯や失敗の後、どうしても謝らないといけないとき、ポーリーはごめんなさいと言う前に、まずアースに突進かけるように抱きついていた。
……もう小さな子とは呼べないし、見た目なら叔母と同じ……いや、ポーリーのほうが大きいのだから、少し手加減とかそういったものを覚えて欲しいものだけどとノクティルーカは淡々と考える。
実際、手加減なしで抱きつかれるときついものがあるのだ。
「ひど……こと、頼んでごめんなさっ
わ……のせい……で、閉じこめ……ごめ……」
ぐしゅぐしゅと泣きながらの謝罪。
首にかじりつくように腕を回し抱きついて、肩を震わせて泣いている姪っ子。
そんな彼女を慰めるようにアースはぽんぽんと肩を叩いて、逆の手で頭を撫でる。
「うん。だから……もう、しないね?」
それは、少し前にも言われた言葉。
ごめんなさいと言うポーリーに、叔父が言ってくれたのと同じもの。
「うんっ」
さらに涙腺を刺激されたのか、ますます声を上げて泣くポーリー。
ようやく帰る場所を見つけた迷い子のように泣き続ける彼女にもらい泣きしたのか、スピカやカペラは目頭をそっと袖で押さえているし、プロキオンも少し鼻をすすってる。
かなり居心地が悪かったんだろう。いつの間にか鎮真と、彼がつけていた侍女とが姿を消していた。
ただ一人残された最後の侍女――四十は過ぎていそうな女性だけが、ただまっすぐに再会した二人を見続けていた。
眩しいものを見るような、憧憬の目で。
ひゃっくりあげる声がだんだん小さくなっていき、まだすこし尾を引きながらもポーリーが身体を離したのは結構経ってからのことだった。
「落ち着いた?」
「ん」
未だぐしゅぐしゅと泣きつつもポーリーはこっくりと頷き、手の甲で涙を拭う。
「まあまあ姫様。強くこすられては腫れてしまいますわ」
くすくすと笑いながらも、カペラは手ぬぐいを取り出してポーリーの涙を拭い、それは甲斐甲斐しく世話を焼く。
かつては普通のことだったんだろう。ポーリーもされるがままに大人しくしている。
にしても……どれだけ泣き続けるのかとちょっと心配した。
子供は体力の限りなき続けるが、こいつもそうなんじゃないか、と。
「ノクティルーカもありがとう。大変だったでしょう?」
少し気をそらしていると、アースから労わりの言葉がかけられた。
「いや、俺もポーリーに助けてもらったから」
照れくささも手伝って、少し逃げるようにそうでもないと答えるノクティルーカ。
けれど彼の反応に構わずアースはちょいちょいと手招きをする。
なんだろうかと近寄れば、ぽんと頭に載せられる手。
よしよしというように軽くなでられて離れていく。
この年になって頭を撫でられるのは照れるし、なんだかむずがゆい。
相手から見れば自分はいつまで経っても小さな子どもの印象が抜けないのかもしれないが、もう少し考えて欲しい。
そう思ってるのが伝わったんだろうか。くすくすとした笑いを引っ込めて、彼女は静かに頭を下げた。
「ありがとう。この子を守ってくれて」
……丁寧に礼を言われるのは、それはそれで恥ずかしい。
「俺が好きでした事だし」
その答えに何故かポーリーが頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。
「あらあら」
「まあまあ」
面白そうに笑うのは侍女の二人組み。
なんだなんだ、何かヘンな事言ったかと首を傾げるノクティルーカ。
かみ合っていないが、それでもうまく行っているらしい。
くすくす笑いながらも、なら良かったとアースはそれで話を打ち切った。
これ以上続けていると盛大に惚気られそうな気がしたので。
笑っている叔母はとても元気そうだ。
先程、おもいっきり抱きついたときにも倒れることはなかったし、極端にやせてもいないみたい。
静かに静かに観察しつつ、ポーリーは頭をめぐらせる。
アースは今までここで囚われていたという。
やせていないから無事でいたとは考えられない。
特に叔母は騙すのが上手いから。どんなに辛いことでも周りに悟らせないから……直接聞いてみるしかない。
「アース、大丈夫? どこも怪我とか、病気とかしてない?」
くいくいと袖を引っ張って問えば、質問が来るのは予想していたんだろう、笑顔で返事が来る。
「大丈夫。怪我も病気もしてないわ」
「ひどいことされてない?」
「私の目の届く範囲でそのような真似は許しません。
姫様に害成す相手は何者であろうと手を下します」
二度目の問いに答えたのは本人ではなくカペラ。
目が据わっているあたり本気だろうし、確実に実行に移すんだろう。
「大変じゃなかった?」
「うーん、大変と言うか……暇すぎて退屈はしてたかも?」
心配そうな姪っ子に対し、叔母はどこまでも軽やかに返す。
そんなだから余計心配なのだとは言えず、ポーリーは別のことを聞く。
「叔父上に聞いたの。わたしのせいでここに監禁されてるんでしょ?
どうしたらいい? 昴の誤解を解けば、ここから出られる?」
必死なポーリーに侍女の一人がぴくりと反応する。
何か思うことがあるのかもしれないが、結局口を開くこともせず彼女は二人を見守った。
「そうね」
考えるようにアースは空中へと視線をやり、それからポーリーをしっかりと見つめた。
「都に行くということがどういう意味を持つか、分かってる?」
真剣な問いかけ。ポーリーは即答せずに叔母をじっと見返した。
それは、かつてなされた問い。
――これを、そなたに預けます。
そう言って母は首にかけてくれた勾玉と管玉の首飾りは、今も涼しげにポーリーの首元を彩っている。
昴のもとにあるべき三種の宝の一つだという、大切なもの。
小さい頃から何度か聞いていた。自分は『昴』の『後星』。次の王になるべき者だと。
――今すぐに継げという訳でも、必ず継げという訳でもありません。
――昴は、自覚無きものが背負うには重過ぎるもの。
――そのような者が継いで、何になりましょう。
――覚悟なき者がその座につけば、悪戯に民を苦しめる事となります。
――民こそが国の宝。それを理解せぬ者に、資格はありません。
全部理解できたとは言いがたい。
でも……あの頃に比べて、自覚は少しできた。
――ゆっくりと考えなさい。自らの事を、これからの事を。
――考えた上で、それから都の明……今の昴の元へ向かいなさい。
――継ぐならばその覚悟を伝えるために。継がぬなら、その宝を返すために。
都に行くということは、つまり――答えを出すということ。
出さなければいけないと言うこと。
「私、今までアースにすごく甘えてた」
ぽつりと言ったのは先程の返事には程遠いことば。
「今回のことだってそうだし。それに、たくさんの人に助けてもらった」
しみじみと言うポーリーは落ち着き払っていて、ノクティルーカにはそれが少し怖かった。
なんとなく……なんとなくだけど、彼女の答えが分かったから。
「たくさんの人が私のわがままに振り回されたから――うん。
もっとたくさんの人が幸せになれるように。
そんな立派な昴に……わたし、なる」
きっぱりと告げられた言葉。
「そう」
嬉しそうに……どこか寂しそうにアースは返す。
カペラとスピカは何度も頷きながら涙ぐんでいるし、プロキオンは深く頭を下げた。
残る一人の侍女はポーリーの言葉をかみ締めるように聞いて、固く口を引き締めたまま目を伏せる。
感動する一行を少し離れた場所から見ているような気がした。
誰かに言われたわけじゃあないけれど、世界が違う、そんな気がして。
けれど、そっちに行くなと彼女に言うことが出来ず……ノクティルーカは拳を握り締めることしか出来なかった。