【第十話 黎明】 1.傍観者の立場
もろもろのことは決まっていって、ポーリーはその決定事項だけを聞かされていた。
グラーティアが使者としていってくれるのは嬉しいけど、やっぱり心配。
アースはちゃんと解放されることになって、迎えに行ってもらっているけど、やっぱりなんだか心配。
今までは、気になれば自分の足で向かうことが出来たし、近しい人に頼むことも出来た。
でも……今は、自分で直接関われない。伝え聞くことは出来るけれど、それだけ。
知らず、ため息が漏れる。
自分はここでは『大切なおひめさま』なのだと頭で分かっていても、今までの経験上どうしても違和感が拭えない。
これからは、これが『普通』になるのよね。
慣れなきゃと思うけど、堅苦しいのは嫌だなとも思う。
旅の間だって、楽しいことばかりじゃなかったけれど苦しいばかりでもなかったし。
でも……ここで、この場所で生きていくと選んだのは自分だから。
ルカには少し悪い気もするけれど。
心残りがあるとすれば……バァルとの決着は自分の手でつけたかった、かもしれない。
母上の事だって、なにか関わっているのだろうし。
積極的に決着を望まないのは、二度と会いたくない気持ちもあるからだろう。
少しでもバァル相手に労力を使いたくない。それにきっと。
きっと、決着をつけるのはラティオの役目よね。
それもあって、自分から教会に行ったのかも。
自分達の中で一番因縁を持っているのは彼だろう。だから彼が終わらせるのが一番だと思う。
そこまで考えて、やっぱり最初に戻る。
ティアは大丈夫かな。アースは元気かな、早く来ないかな。
ノクティルーカは現在席をはずしている――というか、昨日に引き続き七夜に連れて行かれた。
曰く、外の国がどういった考えを持っているか、風習などを聞くためという。
が、それは建前なのではないだろうかと疑ってもいる。
ノクティルーカが狙われるかもしれない、という話は以前から聞いている。
ふぅとまたため息一つ。
愛用の杖を引っ張り出して、口の中で小さく呟く。
それは守るための力。自分がもっとも得意とする防御魔法の呪文。
目の前にいなければ守れない、なんてそんなのは嫌だった。
だから必死になって編み出した術は、媒介さえあれば距離があっても発動するもの。
グラーティアは無理だけど、ノクティルーカには昔からもっているものがある。
それを媒介に術をかける。
大切な人。大好きな人。だから守りたい人。
自分の術に自信がないわけではないけれどそれでも心配なものは心配で。
「お願い、壱」
『神様』に祈る。
一方、ノクティルーカは今日も七夜の面々に囲まれていた。
自分の親世代の人々に囲まれる、というのは結構辛いものだと思う。
落ち着かないはずなのに、思ったよりも落ち着いている。
何故だろうと考えると、大概『昔はそうだった』と思い出すのだ。
一応ノクティルーカも王族だった。王族というものは自由に見えてかなり不自由なものだ。もしかしたら、ポーリーのほうがこの状況に慣れてないかもしれない。
昨日から一人減った七夜の面々はあれこれ彼に聞いてくる。
もちろん、今その話が必要なのかといったものや、裏に毒を滲ませるもの、正面からの嫌味もあるが、それとなく無視して――あるいは皮肉で返す。
どこで生きていてもあることだろうが、こういったものは権力の中枢に近づけば近づくほどに強くなる。
まあ、力に訴えないだけましだよな。
冗談ではなく、暗殺の可能性は考えている。
ポーリーはともかく、自分はそれだけの理由がある。
他から連れてこられた次期後継者の婿、なんて邪魔者でも何もない。
これまた一応、ここの王族の血も入っているらしいが、だからといってそれが免罪符にはならないだろう。
そんなことをつらつらと考えていると、一瞬視界が揺れた。
「いかがされた?」
顔をついしかめてしまったのを見咎めたのか、揶揄するような声がかけられる。
食事やお茶はこの場に来てから飲んでいないから、毒を盛られたというわけではないだろう。
こんなことでつけ込まれてはたまるか、と口を開く。
「いえ、何でも『なくはない、な』」
途中から取って代わった声。
ノクティルーカのもののはずなのに、感じる冷たさと威厳。
そして、かつても感じた遠くから自分を見ているような感覚。
壱ッ?!
『正解』
ノクティルーカの絶叫に明るく返して、『壱』は眼前に並んだ者達を一瞥する。
「『なんだ、七夜が四人も揃って』」
のどの奥で笑う『壱の神』。事態を悟ったのか、七夜達から先ほどまでの余裕が消えた。
「壱の……神」
恐る恐る呟いた一人を軽く見て、『壱』は独り言のように話す。
「『導は居らぬのか。ああ、そこか』」
導に用があるのだと言わんばかりに、さっさと立ち上がりその場から去ろうとする『壱』に、呼び止めるような声がかかる。
振り向いた先にいた七夜の顔には、何故という文字が大書きしてあった。
壱は唇だけで笑う。愉快そうに、七夜に対する嘲りも込めて。
「『存外、この器も悪くはないな』」
その言葉を残して去っていく彼らを、誰も追うことが出来なかった。
木の廊下を歩くうちに、ノクティルーカの感覚は戻ってきた。それでも。
「……急に、何事かと」
『いや、意外に落ち着いてたなーと思って。
びっくりしなかった?』
ため息交じりの言葉は、楽しそうな声にさらに重くなる。
「そう思うなら、こんな真似は」
『だって一番効果的だと思ったんだもん』
効果的、か。
つまりは、守ってくれたのだろう。自分を。
『そういうこと! 導からも頼まれちゃったからね。あ、一応お前も気に入ってるぞ』
心を読んで答えてくれるのは楽なのか。プライバシーの侵害なのは言うまでもないが。
「あ、でも、アースはいいのか?」
ここに『壱』がいるということは、今アースに守護がないということだと問いかけてみると、いっそ得意げに返された。
『大丈夫だよ。ぼくは同時にいくつも存在できるからね』
「どういうことだ?」
『言葉の通りだよ。現のトコにも「ぼく」はいるし、ここにも「ぼく」はいる。
川が海へ流れ、蒸発して空を行き、雨となってまた戻るように。
どこにいてもどんなに分かれても「ぼく」は「ぼく」だし』
「分かれられるのか?」
『そう。今はお前と現とかかな。
まあ、あんまり長い間分かれてると別人かもってなる時あるけどね』
「別人になるのか?」
『そりゃ、性格って環境に左右されるだろ? だからさ』
「ああ、それはまあ」
自分だって旅に出る前と後とではかなり性格が変わっているはずだ。
……それから、『奇跡』を宿していたときも、きっと。
「じゃあ、他人だと思ってたら自分だったって事もあるのか?」
『あ、それはない。ぼく今までいくつも分かれたけど、ぼくのことだけは見えないから』
「は?」
意味が分からず間抜けな声を出してしまう。
しまった。仮にも神様にこんなこといっていいのだろうか。
が、しかし、壱はどうも親しくしてもらうことを望んでいるようだし、構わないのだろうか。
『ぼくね、いろんなヒトモノのいろんなのが見えたり分かったりするんだけど、自分だけはわかんないんだ』
ノクティルーカの疑問には答えず、壱は軽く答える。
「いろんなもの?」
『構成しているものから記憶や感情の一つ一つまで』
それって、かなりすごいんじゃないだろうか。
やっぱり壱は神様だということになるのだろうか。
『ま、安心していいよ。君はそこまで居心地良い訳じゃないから、しょっちゅう来ないよ』
「先に断りが欲しいけどな」
苦笑して答えれば、分かっているとばかりに返事があり、それきり『壱』の気配が消えた。
助けてもらったことには内心で礼を告げ、ノクティルーカはとりあえず、心配をかけてしまった許婚の元へ戻った。
「壱の神が出てこられようとは」
歯噛みする勢いで忌々しそうに言うのは鉄七夜。
「あの若者は以前、姫を救う際に神を降ろしたという。一度縁が出来ているとすれば、おかしな事ではなかろう」
一同が放心する場に響いた声は、ごく当然の口ぶりで話す。
今日ここに来なかった時世七夜が立ったまま冷ややかに同じ立場にいる者達を見下ろしていた。
「ずいぶんと冷静だな、時世の。他国の血を尊き星家に入れても構わぬと?」
「貴殿の外国嫌いは存じておるが、かの君は風の君の血筋でもある。
また、これが始めてでもあるまい」
すでに知っていることを改めて言う必要があるのかとの問いに、鉄七夜は口ごもる。
「神が気に入られたと仰ったならば、姫宮から移ってくださる可能性が出てきた。
そして、あの指すの御子のただ一人の弟子だとも言う」
それでも損なうというのかと言外に匂わせ、決め手とも言うべき言葉を紡ぐ。
「我らの地位は盤石ではない。虎視眈々と狙われている。
星家に何かあれば我らの失態ぞ。すぐにこの座を追われることとなろう。
かつて我らが追いやった南斗のように」
「時世のいうとおりじゃな。なかなかに骨のある若者でもある」
まず一人同意を示すと、残りもそれに倣う。
そうして、七夜はこの婚姻に反対をしなくなった。
かといってすべてを諦めたわけではないだろう。
『まあ、後はあの二人次第だな』
求められれば、助けないでもないけれど。
くすりと笑って、神は居心地のいい場所へと戻って行った。