【第十一話 希望の行方】 1.愛しい想い
この状況でセラータに行くことは、かなり難しかった。
最近は大規模な戦闘は行われていないとはいえ、セラータは周辺国に戦争を仕掛けていたため陸路での国境越えが難しい。
なら海路でと思うが、アージュは海に面していないため他国……ミニュットかメーゼに行くしかないのだが、生憎その二国はセラータと国境を同じくしている。
当然ながら、戦時中に友好的に貿易なんかしてるはずもない。
ここは多少時間をロスしても、安全を最優先しようとノクス達は結論付けた。
メーゼの港町から別の港を経由してセラータに入る。
そこまでは問題ないはずだった。
「いーやーだーッ」
ユーラがそう騒ぎ出さなければ。
「嫌だったら嫌だッ!
陸路で良いじゃないか! どっか警備の薄い場所くらいあるだろっ」
がなる彼女に、もう何度目になるか分からない説明を繰り返す。
「だから例え上手く入ったとしても、見るからによそ者っぽい奴がいたらすぐに目をつけられるだろ」
「それに、ポーラの人相書きなどがまだ出回っているかもしれないし」
「ごめんねユーラ。でも、皆一緒に動くならやっぱり船を使うのが良いと思うの」
三者三様に宥められ、それでもユーラは不服の声を出す。
「大体船賃だって高いだろ? そんな金」
「教会から出させるから、その心配はしなくて良いんだよ?」
「う~」
唸るだけ唸って、ジャガイモを口に放り込み咀嚼することで誤魔化す。
聞く耳はもたないと意思表示されて、仕方なくポーラたちも食事に専念する。
路銀の心配をするのなら、港町でこうやって無為に過ごす時間を減らして欲しいのが本音だ。こまごました手伝いやなんかで船賃を稼いでいるし、目的の船が到着するまでの待ち時間もあるにはあるが。
「そんなに駄目なのか?」
「うん」
こそっとポーラに問い掛けると、諦めの強い声で彼女は応じる。
「増水してた川を渡る時にちょっと乗っただけなんだけどね。
……動けなくなるくらい酔っちゃって」
「うーん」
船酔いするから乗りたくないっていうのはワガママだとは言いづらい。
人間、弱いものや苦手なものは絶対にある。
ポーラは暗闇が駄目だし、ノクスは実は雷が大の苦手だ。
遠雷を聞くだけで体がこわばるし、問答無用で怖い。叫ばないのは怖すぎて声が出ないからで、早く去ってくれと祈る事しか出来ない。
雷鳴にびっくりして、うっかりポーラに抱きついてしまったせいでからかわれたのは記憶に新しい。あくまで『うっかり』、決して狙った訳じゃないというのが本人の弁。
まあそれは置いといて。
増水していたとはいえ川を渡る程度でそこまで酔っていたのであれば、海は確かに辛いだろう。
「まあ、確かに船っていうのは危険だけどね。嵐に巻き込まれないとも限らないし」
さらりと紡がれたラティオの言葉に、顔をつき合わせていた二人が固まる。
嵐っていうと雨や風が強くて。そこから雷を連想してしまったノクスと。
単純に暗いから嫌だというポーラ。
「それ……でも、行かなきゃな」
「う、うん」
声の震えは隠せないままに、それでも行く事を主張する二人。
そこでユーラはようやく折れた。
少しずつ白味の増していく青い空。
それと対照的に、日に日に黒味を増していく青い海。
頬を撫でる風も、だんだんと冷たくなっている。
遠い水平線。本当に世界は広いんだなぁって実感する。
軽く息をついて、ノクスは休めていた体を再び動かす。
モップを使っての甲板掃除はもう一月以上もやっているから、コツやなんかはしっかりと身について、当初より疲れも少ない。日にさらされ続けた肌は初冬だというのにこんがりと焼けて、以前より体力もついたと思う。
心配していた船酔いも、ユーラを除いて皆たいしたことはなく、こうやって船内の手伝いが出来る。案の定船賃は少々足りず、掃除やなんかを手伝う事でチャラにしてもらうよう契約したから、仕事として励まないと。
掃除を終えて用具を片付け食事室に降りると、いつもとおなじようにポーラが出迎えてくれた。
「お帰りなさい!」
こちらは船内で主に過ごすせいか肌の色は変わらず、むしろ白くなっているような気もする。何かいいことでもあったのか、ご機嫌な笑顔でノクスの手を取り有無を言わせず席につかせた。
「おい?」
「あのね今日おっきな鰹が上がったの!」
怪訝に思って問えば、答えにはなっていない、でも上機嫌な声。
「はあ」
「せっかく新鮮なのに、焼いたり煮込んだりだけじゃもったいないでしょっ?」
「まあ……そうか?」
「だからね、お刺身!」
言葉と同時に皿が目の前に置かれる。
皿自体がひんやりと冷たい。冷気の魔法でもかけているんだろうか?
「美味しいのに、みんな食べないって言うから」
ノクスは食べるよねと期待の目で見られる。
どうも食文化の違いのせいか特に刺身は敬遠される。
だからポーラが同意を得たいと思ったら、相手は一人しか居ない。
ノクスのほうも、小さいころからミルザムの食べ物を欲しがった事があったし、実際に食べてその味を知っているから敬遠することは無い。
刺身なんて久々だなと思いつつ、いただきますと箸を伸ばす。
じーっと半ば脅迫のように訴えてくる視線はちょっと遠慮したいけど。
脂ののった刺身を一切れ口に入れる。
「ん。美味い」
「でしょ!」
口の中でとろけて噛む必要なんかない。もう一切れ口に入れてもおんなじ。
確かにこれを煮込むのは少々もったいない気がする。
黙々と食べる姿を見て満足したのか、ポーラは本来の食事――変わり映えしない魚のスープをよそいつつ問い掛ける。
「あとどのくらいでセラータにつくのかしら?」
「さあな。船長に聞いてみないと」
椀を受け取り、身をほぐしつつノクスは応じる。
他の船員と違い日中ずっと動いている訳じゃないし、むしろ彼は夜中に働かされることがある。
星読みが出来るとラティオが口を滑らせたせいで、夜間航行時の見張りに使われたり……だが、そういった使い方が出来るからこそ船賃をまけて貰っていることも事実で。
「ユーラがそれまで大丈夫だと良いけど」
「……まあ、うん」
次の質問には多少目を背けてしまう。
ユーラはなんというか……重病人と化していた。
最初は気分悪いだのなんだのと文句を言っていたのだが、だんだんと口も動かなくなり。すぐに慣れると笑い飛ばしていた船員達も、時折見舞いに来るくらい悪い。ラティオが付きっ切りで看病しているお陰か今のところは落ち着いているらしいが、部屋から出れるような状況ではないらしい。
こんなことでセラータについて、はたして無事に目的地までたどり着けるのだろうか?
そんな風に思いながら、今日も一日が過ぎていく。
ポツリと浮かぶ灯火。
近づけば、こんな山中に似つかわしくない大きな屋敷があることが知れるだろう。地味ながらもしっかりとしたつくりの屋敷も、その主を知れば納得する。
庭に面した一室で、昏々と眠り続けるカペラ。
隣室ではミルザムとサビクが集めた情報を元に議論を重ねている。
「にしても、どうしてここで鬼が出てくるかな。
厄介事は一つで十分だってのに」
「思い通りにいくはずないと分かっていてもなぁ」
「落胆せずにはいられないな」
突如割って入った声に、二人は姿勢を正す。
「心の君!」
ずかずかと部屋に入ってきたのはこの屋敷の……そして今の二人の主。
年のころはラティオと同じくらい。刃のように鋭い銀の髪と裏腹に、センダンの花の瞳は穏やかだ。
「お出迎えもせず申し訳ございません」
「いや良い。何か新しい事は?」
明るく笑う心は実際の歳よりも幼く見える。そう……彼自身の子孫のように。
「北の姫ご一行は、やはり鬼に襲われたようです。
今は麦の君にお会いするために海路で北上中です」
はきはきと応えるミルザムに満足そうに頷く心。
「一刻も早くプロキオンと合流できるよう手配したいが……
ガーネットに言付けておいた方が良いか?」
従妹の名をすんなり出す心に、二人は頭を抱える。
女性を一人で迎えに行かせるというのは間違っていると口に出して言えたならッ
「北の姫の件は麦の君に直接お伝えしていますが」
「そうか」
おずおずと言ったミルザムに軽く頷いて、打って変わって神妙な顔で問い掛ける。
「現の足取りはつかめたか?」
『現』。その名すらあまり呼ばれる事のない姫。
数ヶ月前から行方も足取りもつかめない探し人の名を出されて。
望まれている答えはわかっている。だが、嘘を言っても意味がない。
結局今回も否と応えた。
「そう……か。まったく……どこに居るんだろうな」
刃のような銀の髪をくしゃりと掻いて、明らかに元気をなくした声で心は俯く。
「心の君」
「落ち込んでいても仕方ない、か」
労わるようなサビクの声に笑顔を返し、立ち上がる。
「少しでも情報を仕入れないとな。気は進まないが行って来る」
キッパリ宣言して、来た時と同様の唐突さで部屋を出て行く心。
「どちらにお出かけですか?」
「都に」
慌てて問い掛けるミルザムに応えた声は、先ほどと打って変わって冷たいものだった。
この人はきっと自分の想いを知らない。
いや……知らなくていい。知られてはいけない。真面目な人だから、私のこの思いを知ってしまえば……きっと窘めるに決まっている。
だからこの想いは知られてはいけない。
「昴?」
怪訝そうな声。御簾越しに見えるその姿。
枯野色の装束に刃のような銀の髪。父譲りの凛々しい面立ち。
センダン色の瞳に、自分の姿を映してもらえたら……!
悟らせぬように小声で言う。
「なんでもありません」
私の言葉を侍女が告げる。
隔たられた御簾一枚が……こうも遠い。
聞こえる距離だというのに、人づてにしか会話も出来ない。
対等にならないければ、意識すらしてもらえない。
私が……昴の座を降りなければ。
注がれた水を一息に飲み干す。
それでようやくひと心地ついたかのように息をついて、彼は柱に背を預けた。
綺麗に櫛を通していた髪をくずすと、ようやく本来の自分に戻れた気がする。
やっぱりここは落ち着かない。上品過ぎて。
言えた立場じゃないけどな。
見咎められぬように苦笑して、刃の髪の青年は待った。
影が少し伸びたころに、人目を気にしつつ侍女が一人、此方にやってきた。
「遅くなりまして」
「良い」
言葉少なに歩き、いつものように部屋に入り障子を閉めきる。
それを確認して青年は袂から取り出す。淡い光を放つ翠色の澄んだ宝石細工を。
呪いに応え、道具は効果を発揮する。
これで周囲に会話が洩れる心配はない。
色事は嗜みの一つ。そう思われているが故に、情報交換はしやすい。
上座に腰を下ろし青年がまず口火を切る。
「明に変わった所は?」
「先日突然涙を流された以外は、特に」
「突然泣いたのか?」
「はい」
はっきりとした返答に青年は眉をひそめる。
昴の血脈には共鳴というか……他者の感情に呼応する力がある。
一応気にとめておく必要はあるか。
「他は?」
「祭具殿に食事を運ぶものが居ます」
「祭具殿に?」
「はい。物忌みをされている方がおられるとのことで、失礼の無きようにと」
「分かった」
そのまま立ち上がり、青年は部屋を去ろうとする。
「……心の君っ」
叱責するような、訴えるような声に『心』と呼ばれた青年は面倒そうに振り向いた。
「昴は心の君を」
言い募る侍女を手で制し、言い聞かせるように心は告げる。
「言ってはならぬ事がある」
悔しそうに、はっとしたように侍女は口を噤む。
そして二度と振り向かぬまま、心は部屋を後にした。だから。
「心の君は、本当に昴を想っておいでなのですか?」
侍女の問いかけに、応えるものは居なかった。